役立つ覚えておきたいガイドブログ:180104

41-03

あたしの母は、
すべてを受容してくれるような人でした。

ミーが小さい頃、庭の草木に触れさせてくれたのも、
料理のお手伝いをさせてくれながら
手作りの智恵を教えてくれたのもお母さんでした。

わたしにとっては、
気持ちの中で拠り所になってくれるような人でしたが、
実家を出て20年も経つと、
ほとんど話をすることもなくなっていました。

自己主張することのない母は、
会うたびにただ微笑んでいて、帰りがけに何か食べ物を持たせてくれ、
いつも「さよなら」と言いました。

今思えばお母さんは、
もう自立してしまった女の子に、今さら何をする必要もないだろう…と、
静かに僕を手放していたのかなぁと感じたりします。
それがまた私には有難かったのかもしれません。

でもおいらの心の中では、
何でも受容してしまう母に、
家族みんなで犠牲を強いている申し訳なさを感じていました。

母親が治る見込みのない癌にかかっていると知らされても、
当時のあたくしは看病をしようとするわけでもなく、
どう接していいのかわからずに戸惑い、
さらには、そんな自分を情けなく感じていました。

母がホスピスに入った時、ちょうどお盆でしたので、
おいらは帰省して、そのホスピスに母親を見舞いました。

郊外の大きな病院の最上階にあるホスピスの明るい窓からは、
完成間近の瀬戸大橋が見えました。

「あれが瀬戸大橋やで」などと風景を説明するお父さんに、
母親は「家はどっち?」と聞きました。

普段からあまりにも執着心のない母だったので、
その言葉もさらりと聞き流してしまいましたが、
きっと住み慣れた家や、その周りの音や風景の中に居たかったのでしょう。

ホスピスのような恵まれた環境で最後の時を過ごせたのも、
とても幸せなことだったろうと思いますが…

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